演奏にあたって
ヴァイオリニスト 三戸素子
2003年から毎年、無伴奏バッハを演奏するようになって10数年が経った。
皆、子供の時からバッハは、弾きやすいものから順に勉強する。ところが私は、日本の音大を卒業しヨーロッパに行ってまもなく、バッハの勉強が途切れてしまった。ちょうど「古楽ブーム」が起こっていた時期で、私の留学先ザルツブルグは、その中心地のひとつだった。そこでは17世紀の演奏スタイルの時代考証が盛んに行われており、それまでのバッハの演奏スタイルは全て否定され、新しいスタイルが模索されていた。誰もが何が正しいバッハなのかわからなくなっており、教授たちは誰もバッハをレッスンしなくなった。私もそのまま古いスタイルで弾き続けることはできなくなり、そうかと言って確立されてもいない新しいスタイルで、確信をもって演奏することは不可能だった。
ブームが落ち着きはじめ、既成概念の否定の必要がなくなった頃、またバッハを勉強できそうだと思える時が来た。それが2000年になってからだった。
再開した当初は、やり残していた難曲がいくつもあり、1晩3曲の準備をするのに何年もかかった。曲にはね返されるような絶望感から、年月を経て少しずつ曲の内部に入っていけるようになり、だんだん曲のおおまかなレイアウトが把握できるようになってきた。曲に向き合うにつれ、実感するのがこの曲は「単声楽器(ヴァイオリン)に課した多声音楽」ということである。弾いている音は一つでも、どこかで別のメロディが別のスパンで流れ、実音の外ででまた他の意味が構築されている。
弾いている音は、その外の音列までも示唆し、想像上に喚起させる音でなくてはならない。それを実現させるには、様々なアプローチが必要だと思う。思いつく限りの、そしてその時の本能的な欲求に従って、一つひとつやっていくしかない。
一昨年と昨年は、一本道を交差点に変えるような土台づくり、肉体改造に費やした。今年は一音一音に適した音程とタイミングの調整という作業が主となった。
自然で自由で多彩な音楽を目指したい。